邪馬台国みつけました。
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邪馬台国を探すことにした
きっかけは、東方神起のメンバー・ユノの出身地が韓国・全羅道で、かつて百済の国があった所だと知った事でした。
そういえば私の地元・滋賀県は昔、百済からの渡来人が多く来たらしい。そういえばユノは滋賀県にもありがちな顔立ちかもしれない。彼の話す日本語は、関西弁のイントネーションに聞こえる時がある。
いろいろと思い当たって、疑問を持ちました。百済人ってどんな人達だったんだろう。
ネットで調べてみると、どうやら近江に都を置いた天智天皇は、随分と百済の肩を持っていたらしい。それじゃ、大和朝廷を作ったのは、どんな人達だったんだろう。
さかのぼって調べるうちに、そもそも邪馬台国ってなんだったんだろう、という疑問に行き着きました。

ずっと、邪馬台国がどこにあったかなんて、考えたことはありませんでした。学校で習ったのは「佐賀県・吉野ヶ里遺跡が邪馬台国の都の跡だと思われる」という事だったと思うけど、それもうろ覚え。
ただ、卑弥呼の後に女王となった「台与」を「トヨ」と読むなら、「邪馬台国」は「ヤマト国」じゃないのか、だったら邪馬台国がそのまま大和朝廷になったのでは・・・、そんな疑問を持った記憶が、ぼんやりとあります。
でも、歴史は好きじゃないから、邪馬台国の場所を追求しようとは思わなかった。・・逆ですね。縄文時代、弥生時代までは面白かったんですよ。ところが、いきなり卑弥呼が登場して、中国に王と認められたからスゴくて、日本はやっと稲作技術を身につけた所なのに、中国は中世くらいに文化が発展していたらしい・・。何だか、ヘン。「何だかヘン」なことを、覚えるのはイヤだった。だから私は歴史が嫌いになったんでした。

そしていい大人になり邪馬台国について調べ、論争のこじれ具合を見たときに、今度は「これはきっと、何かをどこかでものすごく掛け違えてる」とはっきりと思いました。
プログラミングにおいて、あまりにバグが多い場合は、修正するより最初から作り直した方が早い、とはよく言われる事です。作り直した結果、元の長大さはなんだったのかと拍子抜けするくらい、コンパクトなプログラムになるのも、よくある事。
「魏志倭人伝の解読」も、きっと、事実はもっとずっとシンプルなはずです。
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