ヤマトを巡る物語

邪馬台国みつけました。

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近畿へ行くなら、敦賀湾から

邪馬台国があった事の根拠であり、その道のりと場所の混乱の元になっているのが「魏志倭人伝」。以下は行程の要約です。
帯方郡より倭国に至るには、船で朝鮮半島を経て
7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。
そこから海を1,000余里渡り、対海国に着く。
瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国に至る。
また海を1,000余里渡ると末廬国に至る。
東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。
東南へ100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと不弥国に至る。
南へ水行20日で投馬国に至る。
南へ水行10日、陸行1月で、女王の都のある邪馬壹国に至る。
帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。 (Wikipediaより引用)

末廬国
さて、いきなりですが、末廬(まつら)国。ほとんど暗号のようにしか見えない記述を眺めていて、最初にピンと来た場所がここです。
日本海沿岸にあり、おそらく松が生えている土地。そのイメージから、すぐに思いついた地名がありました。福井県敦賀湾・気比の松原(けひのまつばら)。
かつて、北前船の積荷は敦賀湾で陸揚げされ、近江まで運ばれ、琵琶湖の水運を使って京都方面に送られていました。日本海から畿内への、定番と言えるルートです。
・・これは「あり」な気がする。この手ごたえを頼りに、倭人伝の行路を探ります。

伊都国
敦賀湾から南東へ。福井と滋賀の県境を越えます。さほど険しくないものの山道で、現在も民家はほとんどありません。
そして、滋賀県、旧伊香郡(現在は長浜市)の集落に到着します。
ここは人口が少ない典型的な過疎の町・・と思いきや、旧伊香郡高月町は実は、全国でも有数規模の古墳群、また、国宝を含む数多くの観音像がある町です。この事を考えれば、過去に何らか重要な役割を担っていた場所に違いないのです。
そして「伊都」「伊香」と、名称も似てますね。

奴国
さらに南東、長浜市中心部へ。歴史に詳しい人なら、この地名には馴染みがあるはず。国友鉄砲村があり、石田三成の出身地でもあり、豊臣秀吉がいた長浜城、姉川古戦場も。少し北に行くと、浅井氏の本拠地・旧西浅井郡。
後に歴史の舞台になったのは、東海から北陸、畿内への交通の要であることも大きいでしょうが、国友鉄砲村の存在はそれだけでは説明がつきません。鉄砲のサンプルを元にコピー品を作る、それはもともと鋳造の技術を持っていなければできない事です。これまた、古代にルーツがありそうです。

不弥国
長浜市の東、米原市。岐阜県と接しており、県境を越えると関ヶ原。
日本神話、ヤマトタケルの物語に登場する伊吹山・醒ヶ井がここ米原にあります。また、古代の有力な豪族、息長氏の墓も。

ここから「南へ水行」。滋賀県で水行と来れば、そう、琵琶湖です。
(米原からは引き返しますが)長浜から出航し、滋賀県湖南を目指すと、おおよそ南西に進むことになります。

投馬国
そうなると、投馬国は湖南地方のどこかですが、これはもう、銅鐸・弥生遺跡のメッカ、野洲川流域の野洲市・守山市で間違いないと思います。

そしてさらに「水行」・・これは、最初に考えたのは再び琵琶湖経路だったのですが、それならば投馬国に寄る必然性がない。
野洲川を舟で上る、と考えると。古代から、野洲川が水運に利用されていたとしたら。これはそんなに突飛な考えでもないのかもしれません。車も鉄道もないんですから、舟で荷運びが出来れば相当便利です。流れが緩やかな川ならば、やらない理由はないはず。
野洲川上流に「水口」という町があります。内陸なのに水口という地名を不思議に思っていましたが、水運の起点になっていたとしたら納得がいきます。(ただし、ここまで川を上れるかどうかは、やや疑問です。)

ここから、考えられるコースは二つあります。
甲賀~伊賀~奈良、と続く道と、信楽へ行く道。どちらに進む?
ひとまず、この選択は保留にしておきます。

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