ヤマトを巡る物語

邪馬台国みつけました。

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途中マップ

さて、肝心の邪馬台国の場所がまだ確定していません。
野洲川を上った後のルートには、奈良方面と信楽方面とが考えられます。奈良盆地に向かう場合、途中に甲賀市、伊賀市、名張市、宇陀市、といった盆地があります。

ところで、魏志倭人伝には、行路の説明中にある国以外の「邪馬台国に従属する国々」も書かれています。
斯馬国、巳百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国
このうち、呼邑(こお)国=甲賀、為吾(いが)国=伊賀、巴利(はり)国=名張、烏奴(うだ)国=宇陀、が当てはまるのではないかと思います。

ここで一旦、地図にしてみました。
邪馬台国 地図

私は初め、魏志倭人伝の行路が奈良盆地までつながれば、それでOKだと考えていました。邪馬台国の都跡の有力候補とされる、桜井市「纏向(まきむく)遺跡」への道が見つかれば、「畿内説」が正しかったということで邪馬台国論争に難なく決着がつくのではないか、と。
ですが、上記の「その他の国々」を探すうちに、考えが揺らいできました。斯馬(しま)、伊邪(いせ)、都支(とき)、弥奴(みの)・・分かりやすい地名から埋めていくと、どうやら一つ一つの国は小さく、邪馬台国の勢力圏も広くはなく、しかも「畿内」よりもかなり東に偏っているようです。
奈良盆地では、都を置くには端すぎるような気がするのです。では、それ以外の場所があるだろうかと考えた時に、信楽へ続く道に気づきました。

信楽焼で有名な信楽(現在は甲賀市)は、745年、数ヶ月だけ都・紫香楽宮(しがらきのみや)が置かれた地です。奈良時代、いきなり森の中に遷都というのは、ちょっと不思議です。
しかし卑弥呼の場合は、各国の相談の上で共立された王であり、即位してからはほとんど人前に姿を現さなかったと言います。そういった性質を考えれば、信楽という場所に「王宮」があってもおかしくない、むしろ、しっくりくるように思うのです。

Comments

トラックバックして頂き有り難うございます。。

2010.08.21(Sat) 11:28       漢山 さん   #WzzJX4NY  URL       

突然おじゃましまして

すみません^^;
邪馬台国にご興味をお持ちの方に、こんな行路の見かたもあるよと、ヒントとして知っていただきたかったのです。

トラックバックさせていただいた記事はこちら
漢山の屋敷「邪馬台国論争」
http://blogs.yahoo.co.jp/ayayamakanyama/2427583.html

2010.08.22(Sun) 19:17       みゃーの さん   #-  URL       

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